トラクト01「愛に満たされて」
「愛に満たされて」
明治の文学者、二葉亭四迷は、日本に初めて聖書の「愛」ということばが入ってきた時、「あなたのためなら私は命を捨ててもいい」と訳しました。
満たす愛 からっぽの心
私たちはみな、本当の満足を探し求めています。私たちの心は、何かの「入れもの」のようです。そして、その中がいつも何かで満たされていなければ、我慢ができず、不安でたまりません。品物はあふれ、頭は知識でいっぱいかも知れませんが、肝心の心の中は空っぽなのです。
その心という「入れもの」には、小さな穴がたくさんあって、何を入れてみても、すぐにもれてしまい、空っぽになってしまうのです。楽しみに待ち続けた時間、欲しくてたまらなかったもの、行きたかった場所、見たかったもの、知りたかったこと、手に入れたかった何もかもが実現しても、私たちの心は「満ち足りる」ということを知らないものではないでしょうか。
聖書もこのように言っています。
「あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。」
満たす愛
私たちは、愛という言葉を、どんなにか度々聞いていることでしょう。そしてその美しい響きは、人の心が空虚になればなるほど大きくなってくるようです。私たちの心の穴をふさぎ、真に満たしてくれるもの、それは、物でも知識でもなく、愛なのではないでしょうか。私たちの心は、本当は愛に飢えているのです。
幼い子が母を慕うように、人も神の愛に飢え渇いているのです。現代は実の親でさえも我が子を見捨てるような時代です。しかし、神は聖書を通して語られます。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」
事実、神は永遠の愛をそのひとり子イエス・キリストにより、私たちに示してくださいました。このイエスの内にこそ私たちの求めてやまない神の愛があります。
あなたも是非、この神の愛に出会ってくださいますよう心よりご案内いたします。
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